これまでにさまざまな土地のアートプロジェクトで作品を発表し、自らを「芸術祭育ち」だと自称する五十嵐さんは、数ヶ月から数年の時間をかけて土地をリサーチする。土地への関わり方は経験を積んでいくうちに会得していった。

「土地には基本的によそ者として入っていくことがすごく大事。右も左もわからないよそ者が、出会った人をきっかけに少しずつ土地を理解していくんです。入りやすい土地や時間がかかる土地、さっと入れるようですぐに弾き出される土地。土地によって特性みたいなものがあるんだけど、たいがいはよそ者としてそこに少し風穴を開けるような役割を意識しています」

土地と関わりを持ちはじめてからは、そこにいる人たちと共に作品を作ることがほとんどの五十嵐さんにとって、人との出会いはとても大きい。

「結局1人で入れるのは表層だけなので、町の誰かをきっかけに深く土地にダイブしていくような感覚があって。人と人が会うことは本当に不思議で、なにかしら情報を交換するために会うんじゃないかってどこかで思っています。この星には70億人ぐらいの人が生きているから、道すがらに出会う人っていうのはやっぱり、何かあるんだよね」

人と出会うのは情報を交換するための必然。インタビュー前のリサーチで、そんな出来事に巡りあったばかりだった。1回目のリサーチでは、雨のため人が見当たらず閑散としていた明海にある浦安市総合公園で、晴れた空に向かってヒト型の凧を揚げていたのが馬場さんだった。

人?本物??一瞬パニックになったリサーチ一行。少し警戒しつつ、近づいてみることに。

埋立地の神様はどこにいる?

写真左が馬場さん。趣味で始めた凧揚げだが、33歳から本格的にチームを組んで競技大会に出場するほどの腕前に。ちなみに現在(2023年)67歳。出会った直後からおしゃべりが止まらないふたりは、1時間くらいその場から動かなかった。
地上でみると、ずいぶん大きい人(凧)。マーティン・レスター氏という有名なカイトデザイナーの作品で、世界で10体しかない貴重なもの。アメリカの友人のカイトショップで購入。「アルバート・ルース」という名前だが、サングラスをかけていることにちなんで、馬場さんと奥さんは「タモさん」と呼んでいる。

「あんなところで凧揚げてたら声かけちゃいますよね。今日の僕は馬場さんに会っただけで、だいぶ浦安市の見え方が変わったもん。あんなに浦安の風の話をできる人はなかなかいないでしょ。厳密には彼は江戸川区の人なんだけど。これから馬場さんを水先案内人として明海の浦安市総合公園エリアから浦安市に深くダイブしていく予感があります」

平日の晴れた日にはほとんど毎日凧を揚げに来ている馬場さんは、凧が揚げやすい風の話をしてくれた。北風はビル風だからあまり適していなくて、南風が吹く日が一番いいなど。そんな馬場さんとの出会いを必然と感じてしまうのには理由があった。五十嵐さんは現在、浦安市を含めた8つの地域でのアートプロジェクトを並行していて、宮崎、熊本、長崎、福岡、香川、千葉、奥多摩、浦安を行き来する中でなんとなく浮かんでいた共通のモチーフが「風」だったからだ。

「奥多摩のリサーチに入った時にコーディネーターの人に『土地に対して風みたいな役割を果たせるといいですね』と言われたり、知り合いの大学教授から『五十嵐くんは相変わらず風の人なんだね』みたいなことを言われたり。そんな意識で浦安の埋立地を巡っていると、元町側にはあった神社やお寺が、中町と新町では見つけられなかったんです」

浦安市は埋立事業により市域が4倍になった。もとからある漁師町だった元町地域には神社が三社あるが、埋立地の中町地域と新町地域には大きな神社が見当たらないことに五十嵐さんはプロジェクトの手がかりをみつけていた。

浦安市は昭和37年に漁業権の一部を放棄し、昭和40年から第1期の埋立土地造成事業が始まった。昭和50年に中町地域とテーマパークを有するアーバンリゾートゾーンが完成。その後漁業権の全面放棄を機に、昭和55年には新町エリアと工業ゾーンが誕生した。

「日本でいう神様はある意味自然法則そのもので、人と自然との関わり方のひとつの依り代というか、きっかけになるものだと思っていて。元町はもともと漁師町だから、きっと漁や海にまつわる神様がいらっしゃるんだなとなんとなくイメージするんですよ。じゃあ中町や新町の神様ってなんだろうと。埋立地の神様を見つけるとしたら、埋め立てられる前から今も在り続けてる、ある普遍的なもの。海の上だった頃から吹き続けている風が、そのひとつだなと」

土地に文化が生まれるとき

浦安市の最大の特徴である埋立地は、五十嵐さんにとっても身近な存在だ。隣の市川市の埋立地に生まれた五十嵐さんは、コンクリートの上で育った反動からか、25年間世界を旅しながら作品を制作してきた。そして千葉に戻ると、自身を形成した土地でもある埋立地と改めて向き合うことに。

「これまで芸術祭で活動するアーティストたちは、たとえば新潟の里山や瀬戸内の島のように日本各地の美しき歴史と文化、自然がある場所をフィールドにして、その環境ありきで作品を生み出してきたんです。だけど、埋立地のような場所もこれからの芸術の新しいフィールドとして捉えることができると思う」

なぜなら、埋立地は50年ほどの歴史しか持っていないからだ。五十嵐さんいわく、1100年以上の歴史を持つ福岡県の太宰府に生きる人たちは、当たり前のように土地と同じ時間軸を持って物事を考えている。歴史を積み重ねる素晴らしさを感じる一方で、埋立地は歴史が浅いからこそ、今を生きる人たちが文化を作っていけるポテンシャルを秘めている。

滑走路くらいの幅がある浦安市総合公園の沿岸部。「スケール感がバグるね」と五十嵐さん。

「土地に想いを積み重ねていったものが文化になると思っていて。僕は今年45歳になるけど、自分の人生とそんなに変わらないくらいの歴史しかない埋立地の第一世代なんです。環境汚染された中で育ったから昔は嫌だったけど、やっぱり人っておもしろくて、コンクリートジャングルみたいな場所にも愛着を覚えて故郷になっている。そんな人たちがこれから埋立地に文化を作っていくんです。これから文化が生まれるフィールドとして捉えると、埋立地はアーティストにとっておもしろい土地です」

今では観光地として栄え、120年続く芸術祭ヴェネツィア・ビエンナーレが開かれる水の都ヴェネツィアも、5世紀ごろに湾の周辺に住む人々が他民族の侵攻を逃れるために、海の上に作り上げた埋立地だ。浦安市も住む人たちの想いを途切れることなく積み重ねていけば、浦安市ならではの文化を育むことができる。その歴史を紡ぐ糸の一本を、アートが担うのかもしれない。

土地と作品のよい関係

最後に、さまざまな地域で作品を生み出してきた五十嵐さんに、アートが土地におよぼす影響について伺った。

「地域を舞台にしたアートプロジェクトでは作品をきっかけにその土地の魅力に出会っていく。だからこそ、どこからか持ってきたものじゃなくて、いわゆる神社仏閣のようにその土地でアニミズム的に成立している作品でありたいですね」

美術館の展示室であれば来場者はアートを見るために訪れるが、街中での展示であれば土地にいる誰もが作品を目にする可能性がある。場合によっては、その人が見たくないものとして作品が成立しうることを、五十嵐さんは強く自覚していた。

インタビューは市内テーマパーク内のカフェにて。ちなみに五十嵐さんが通っていた小学校の卒業旅行は市内テーマパークだった。

「だからこそ、よそから持ってきたみたいに土地にポンと作品があるんじゃなくて、土地から立ち上がってそこにあるような作品に文脈的な強さを感じます。僕がプロジェクトに時間をかけるのはそこらへんの意識もあるし、そうあるべきだと思うからです。土地を行ったり来たりしながら体も思考も動かしていくと、その土地に納めるべきものが見えてくる。最終的には土地の人に向けてアートプロジェクトに取り組んでいるから、プロジェクトを振り返ったときには、風景とともに人の顔が浮かびます。やっぱり土地は、人だと思うから」

埋立地の第一世代として育ち、芸術表現の新たなフィールドとして埋立地に可能性を見出した五十嵐さんは、浦安にどんな風を吹かせるのだろうか。


text = Lee.Senmi

edit = Tatsuhiko watanabe