メンタルヘルスとの付き合い方

ーー先のお話のなかでメンテナンスというキーワードが出てきましたが、メンテナンスはそのものの構造を理解しているからできるものですし、サスティナビリティにも繋がると思うんですが、メンテナンスの役割についてはどう考えていますか?

樫村 私は12年前にウガンダで建設に携わり始めて、まさに今メンテナンスをせねばという状況になっています。なんでここに木を植えちゃったのかなとか、若かりし頃の自分を反省しながら、どうメンテナンスしていくかチームで話し合ってる状況です。

西尾 面白いですね。

樫村 一応自分が設計したのでやりやすい部分はあるんですけど、自分で全部できる訳ではないので、一緒にやる人たちと「ここ繋げられる?」みたいな話をもう一度やりなおす。こういう構造になってるんだねと理解することが伝播するというか。

その様子を横で見てた現地の学生も「こうやって窓ができてるんだな」と理解する。小さい話ですけど、自分が住んでる場所がそういうふうに直っていくのを見るのは大事だと思いますね。もうメンテナンスを前提に設計しなくちゃいけない年になっていると感じながらやっているところなんですけど。洋服の場合は繕うことで長く着ることができますよね。

樫村芙実さん。建築家であり藝大建築科の准教授。

西尾 昔の人の方がそういうことをやってましたよね。あとメンテナンスと言った時に浦安でもテーマにしてますけど、その人自身をケアするみたいな意味でいうと、服が担える部分ちゃうかなと思います。チクチク作業はほんまに癒しになるじゃないですか。自分の肌に触れる装いを作っていくのはそういう効果もあると思います。先端芸術表現科にはメンタルヘルスが良くない学生が集まってくる傾向があるので、そういうことを考えさせられるんですけど。

樫村 少し脱線しちゃうかもしれないんですけど、メンタルヘルスの話題はいま事欠かないじゃないですか。

西尾 そうですね。

樫村 弱いことをいいとはとても言えない一方で、アンバランスな状態が魅力でもあることを伝えたいなと思っているんですね。建築の場合は1人では絶対にできないので、チームを組んでやっていく状況を作りながら経験していくことが大事なんですけど。

私ももちろん1人でやってるわけじゃないですし、それこそ1人のアーティストが前面に見えていても、後ろでサポートしてくれている人がいたり、あるいは連名になっていたりする状況で、人との関わり合いについてメンタルヘルスが弱い学生の制作に対して気を使ってらっしゃることはありますか?

西尾 アンバランスなのが良いというのもそうですし、要は弱い自分と付き合い続けることだと思うんです。それと付き合うコツみたいなもののひとつに、装いを繕ったり装いを選ぶことで変化を与えるみたいなことがヒントになればいいなと思っています。

作品を作ることは0から何かを立ち上げることなので、どんな人の協力が加わってても、そこに向かって突き進む強いものがないと厳しいです。でもそれ自体がいまの時代からするとマッチョというか。その構造自体が否定されてるように思えてきて。となると、本当にアーティストという存在自体も、あるいは教員という存在自体も否定されてるような気にさえなるぐらい、すごく考えるようになりましたね。

西尾美也さん。美術家/ファッションデザイナーであり先端芸術表現科の准教授。

樫村 西尾さんと私はかなり近い世代だと思うんですけど、まさにマッチョな先生たちと、そうじゃない世代の間をどちらも経験しているじゃないですか。

西尾 ほんまにそうやと思います。

樫村 建築の学生は比較的メンタル強い子もいるので「なんでそんなに優しいんですか?」と言われることもあって。個人に合わせていかざるを得ないんですけど。上の世代の様子を知ってるからこそ、そこで築かれてきたのもあるだろうから、その世代のスピリットみたいなものも、もしかしたら選択としてありなのかなと。いろんな引き出しがあるといいかもしれないですね。

「楽しく」表現活動をするために

樫村 あと制作のときにネガティブな感情を抱かなくなるといいですけどね。怒りとか反発が大きな力になることもあるんですけど、そうじゃないポジティブな発見が制作に繋がるのは楽しいですよね。やっぱり問題を解決するのではない在り方がいいなと思っていて、もちろん建築的に問題を解決しなくちゃいけないことがあるので、それを否定する訳ではないんですけど。それが全てじゃなくて、対象の中に問題とかネガティブじゃないものを見ていくのはもしかしたら人にも場所にも建築にも育ちつつあるのかもしれないですね。

西尾 確かに、それは次の近い未来かもしれません。今はメンタルが弱い人たちが顕在化してきて、対立的な言葉になりがちなこともあるんですけど、そのための作品を作りたくて美術をやってるんじゃないと。そんなことは当たり前になった上で、表現をやりたいという話もきくんで、それはポジティブな面を見ていくことに繋がっていきそうですね。

樫村 そうですね。女性であることもそうですし、サステナビリティを託そうとか、とかくそれを主題にするんじゃなくて、全員いい人生を生きたいぐらいの、ベーシックなところで制作できたら本当はいいですね。

ーー浦安藝大で西尾先生は「高齢化と孤立」、樫村先生は「防災と水害」という課題がテーマですが、問題そのものの捉え直しをされてますよね。高齢化を問題とするのではなく新しい価値として捉えられないかとか、非日常の災害をいかに日常から捉えすかとか、ネガティブな問題をポジティブに捉え直しながら進めている印象です。

西尾 作ることは楽しいという感覚が身についてるからというのはあるんじゃないですかね。

樫村 私たちと西尾先生は浦安藝大プロジェクトでの関わりが強いわけではないですけど、1人でやっているのではないからこそ、予想外にハッと発見や気づきがあるといいですよね。

一方で住民の方たちと身構えずに関わるにはどうしたらいいんでしょう。西尾さんがインタビューで「無理に住民の方と関係を持とうとするのはよくないと」おっしゃっていて、その通りだなと共感しました。自然と人が集まって良いモードで会話ができる状態があらゆる場面で生まれたらいいなと思うので。学生も「何か言われるかも」と身構えずに、深い良い議論ができるのが理想です。深い議論では痛いところを突かれるかもしれない一方で「一緒にいいものを作りたいじゃん!」という前向きな気持ちから生まれるものなので、そんな雰囲気を作れるといいかな。

西尾 服はやっぱり好き嫌いがはっきりするメディアでもあるじゃないですか。作ってる人だったらその人独自の感想を言えたりする。僕たちが目指してるファッションももっとDIYでよくて、遊びでよくてとか言ってるんで、もしかしたら身構えてしまう人からすると「そんなんでいいんや」みたいな感想を引き出せるかもしれません。

樫村 まだ好き嫌いがはっきりしてなかったり、自分が着たいものをどうやって選んだらいいのか迷ってる方と相談されることはあるんですか? 

西尾 今は自分のコーディネートを選んでくれるサービスを利用する若い人も増えてるんですよね。確かにあんまりそういう人たちと一緒にやったことないですね。中学生とかもあんまりなくて。そういう場に関わってこなそうな世代や特性の人たちと一緒にやる場を作れるといいかもしれないです。

いつもと違う服との出会い方

樫村 子どもを育てていて、それまで服は着せ替え人形状態だったのが、3歳くらいになると「今日はこっちの方がいい」と言い出したんです。これを着ていくと「かわいいね」と言われるとか、着ていて気持ちいいとか何かあるんでしょうね。そこからまた小学校とか中学校の制服とか出てきて、自分で買うようにもなっていく。いろんなものが積み重なっていって、捨てられない洋服とかも出てきたり

西尾 今回の浦安藝大の企画で言うと、何度か別の場所でもやってきたんですけど、パブローブっていういろんな人が着てきた服を募集して、パブリックなワードローブを作るプロジェクトを浦安市内のどこかでやりたいと思っていて。そういう自分で選んできたり与えられてきた服を一旦手放して共有のものにしてみることで、市民の人たちがまさに服の図書館という形で借りていくことができる。そうすると自分で選ばなかったものを、気軽に試着して過ごしてみることができる。もちろん違和感を覚えるかもしれないし、もしかしたら新しくしっくりくるものが見つかるかもしれない。そういうことをやろうとしてます。

西尾美也《パブローブ》2013年、山口市中心商店街 | Photo by Ryohei Tomita

樫村 それは例えば男女問わず年齢も問わずで借りられるということですよね。女性が男性服のSサイズを着ることもある。新品で売ってると躊躇するようなエリアに置かれてるものが、全部取り払われてる状態ですよね。

西尾 まさにそうなんですよ。それこそ商品として提供されるときは、特定の身体が想定されてるんですけど、それが具体的な人が着ていたものとして相対化される。パブローブの服が並んだ状態というのは、お店とは真逆で、いろんな服が混ざり合って並んでるので、おばちゃんの服だったりいろんな服に必然的に手を触れていくことになります。

樫村 それはタグも全部残ってるんですか? 

西尾 そうですね。割とそのまま残ってます。

樫村 ブランド品とか、空港に行くとショッピングする気が失せるんですけど、それは多分ロゴがすごくいっぱい並んでいて主張が激しいからなんですけど、一方でロゴとかタグに惑わされている自分もいて。古着とか1回誰かの体を通ってきた服のタグが外されていたらどうなんだろうなと興味がありました。

西尾 そうかそうか。いいブランドだったら逆に偏見で見ちゃうというか。

樫村 そういう偏見が私の中ではあります。

西尾 服にはエピソードタグみたいなものをつけてもらうんで、そのギャップを感じれたりすると面白いかもしれないですね。

どこからをゴミと呼ぶのか

ーー樫村さんは浦安藝大でいうと、今はゴミのことをリサーチしている段階ですか?

樫村 そうですね。きっかけでもないんですけど、それまで生ごみは普通に捨ててたんですけど、引っ越してからせっかく庭があるし土に入れなきゃいけないんじゃないかと思って。今はまだ過渡期なので、生ごみを溜めると夏場だと匂うんですよね。最初はほんの3秒でギュッと縛ったら済んでいたものを、なんでわざわざ15分もかけて土を掘ってやらなきゃいけないんだという葛藤はあったんですけど。

でも実はゴミそのものに興味があるだけではなくて、最初に触れたインフラの話もそうで、見えなくなっちゃうものをどうやって自分ごととして感じられるのか。少し前に流行った循環という言葉を、ちゃんと自分たちの生活の中に入れるにはどうしたらいいのかを、ゴミをきっかけに考えているんです。

浦安でもゴミ処理場を見せていただいたり、職員の方たちとちょっと汚れたエリアを歩くワークショップをしたんですけど、そのワークショップが全然面白くなかったんです。なんでかというと、お祭りの直前ですごい綺麗になっちゃってました。すごく汚れてる地域を学生たちと探してたのにと、その時はがっかりしたんですけど、逆に面白くなってきて。やっぱり自分たちのエリアをよく見せようっていう意識が働いてることが分かったので、それをもう少し噛み砕くといいんじゃないかと思ったんですね。

市役所職員とともに行った樫村研究室のワークショップ。浦安駅周辺でゴミを探してその場所を地図に描き込んでいった。

それをきっかけに徐々に場所に対しての気持ちが芽生えています。浦安って巨大じゃないですか。とても広い土地や場所に対して、どのぐらい意識を持てるんだろうと考えていて。いま面白いなと思っているのが護岸です。埋立地なので、埋め立てると護岸を作りますよね。また先を埋め立てるとまた護岸を作るので、使われなくなった護岸に対して見た目も綺麗じゃないからと否定的な人たちがいる一方で、やっぱりそれもキャラクターになればいいなと思っています。大きな意味でもしかしたらゴミと言えるようなものを、どういうふうに自分たちの土地のものとして認識できるかというような、そういう射程を広く持って捉えられないかなと、ゴミから派生して広げている最中です。

ーー最後に、実際の課題に対してアウトプットとして現場に落とし込む時に起こる色々なことがあると思うんですけど、面白いことや難しい🤨はことみたいなホットトピックはありますか? 

樫村 私のチームの場合は、1/1を作る前の設計段階が大事ではあるけど、やっぱ実物を作って初めて実現できることとか、難しさを含めて設計しなくちゃいけなかったことに気づける機会が、やっとクライマックスというか。そこから始まると感じています。あとは学生も思い描いていたものと違うみたいなことを一緒に議論していく段階なので、これから楽しみですね。

西尾 去年の浦安藝大があったから、今川団地がうちでも機会があればやってほしいと、向こうからの声が上がってること自体がひとつの成果だと思うので、そうやって浦安藝大というプロジェクトを利用し合う関係が生まれてくると絶対に面白いと思います。今もちろん課題がありますけど、それにどう応えていくかに終始すると全然面白くないので、課題を通して住民の人と一緒にどれだけ面白がられるかみたいなことは期待したいなと思っています。