浦安藝大、どう進めていく?

5月下旬の浦安リサーチ・フィールドワークの後に、その内容を共有するためのミーティングが行われた。リサーチに参加したメンバーは日本にいる津田さん、能作さん、ミヤタさんの3名。国をまたぐアート・コレクティブにとって、お互いの間に横たわる距離や時差、言語の壁は常につきまとってくる問題だ。まずはプロジェクトの進め方についての議論が交わされた。

現在のKITAのコアメンバー。左から 津田翔平、ムニフ・ラフィ・ズディ、ミヤタユキ、北澤潤、アナスタシア・ユアニタ、シティ・サラ・ライハナ、能作淳平、アディティヤ・プトラ・ヌルファイジ

津田「リサーチを終えて能作さんとまず話し合ったのは、そもそもKITAはどういうチームで、どう制作を進めていくかをみんなで話した方がいいよねってこと。俺や能作さんがアイディアを出して日本側で制作することもできるけど、それは果たしてKITAなのかと。インドネシアチームも一緒にやるのであればやり方を考えないといけない」

能作「どう協働していくかのルールとやり方を整備していく必要を感じました。それぞれバックグラウンドやジャンルが違うから、個々のアイディアを出し合った上で他のメンバーのアイディアをどんどん掛け算する「わたし」から始まって「わたしたち」になっていくやり方を試すとか、いろいろあると思う」

インドネシアチームは8月に来日予定だが、10月の展示期間は来日できないことがこの時点で決まっていた。そうしたメンバーの動きを考慮したうえで、プロジェクトの計画を立てる必要がある。

北澤「10月の展示を最終地点として制作するのか、それとも浦安藝大は来年、再来年と続いていくわけだから、来年に向けた途中経過として見せるのか。今の条件下で10月の展示にエネルギーを使い切るとなると、どうしても日本チームへの負担が大きくなっちゃうから、そうじゃない落とし方を考えていくのがいいと思う」

ミヤタ「浦安藝大は浦安市民に向けたプロジェクトだから、市民がどれだけ関わるか、市民に何を提示できるかが大切。だから10月の展示が中間発表でももちろんいい。できればインドネシアチームがいる8月のワークショップで、市民と交流できるといいかな」

浦安藝大では、展示に向けたプロセスとして市民を対象にしたワークショップがプログラムに組み込まれており、ワークショップの設計も含めてプロジェクトを考える必要がある。続いて、浦安でのリサーチの共有がインドネシアチームに対して行われた。

▲新町の海沿い。リサーチ当日は雨が降っていたため、「海の近くにいても海の匂いがしなかった」と津田。

津田「新町は市内テーマパークの延長で街が存在しているような印象を受けました。都市設計シミュレーションゲームの世界みたいにコピペで家を配置して作られたような」

ミヤタ「埋立地だから自然を探す方が難しくて、ちょっと雑草が生えてるだけでも感動しちゃった」

北澤「浦安の埋め立て地の土ってどこから来たの? 埋め立てにインドネシアの土が使われることもよくあるけど」

ミヤタ「浦安の海の底の土らしいけど、いろいろ調べてもいいかもね。3.11の震災では中町新町エリアの液状化がすごかったらしくて。液状化ハザードマップでは、震度6弱で浦安市ほぼ全域に液状化の恐れがあるって書かれてる」

▲浦安が土地を拡大していく前の、まだ漁師町だった頃の元町の写真。元町の旧医院に展示されている。
▲昔の浦安の地図。

北澤「今のインドネシアには、昔の浦安みたいな風景がたくさんある」

能作「エリアごとに全然違ってて、巡らないとわからないおもしろさがあった。例えば元町にあるものが新町に置かれていたり、新町のものが元町に置かれていたりするとギャップが生まれて、硬直化している問題があぶり出されるかもしれない」

めいめいの感想を述べる中で、議論が膨らんだのは埋め立てられた土地に気持ちを重ね合わせた津田さんの意見だった。

津田「埋め立てられた海沿いのアスファルトの下にも土があるわけじゃん。その土が気になった。うちを改装した時に、土が丸見えの家の中で土の匂いが充満したまま数ヶ月過ごしてたら、自分たちの前にも人が住んでいて、ずっと前は森だったかもしれないし、さらに遡ると恐竜もいた。そんなふうにいろんな時代をワープする感覚に陥って。それに近い感覚を、浦安をリサーチした時に覚えたんだよね。うまく言えないけど、歴史とともに土地や地面が形成されていることを肌身で感じたというか」

北澤「レオ(アナスタシア・ユアニタ)は翔平(津田)の考えてることに呼応してるね。自然災害の話も出てたけど、自然災害はあくまで自然のサイクルに則って繰り返されている現象だけど、浦安をみていると人間が何かを作ることによって、災害になってしまっているのかもって」

確かに、浦安市が抱える液状化問題も、土地を拡大したことによって生まれた問題なのかもしれない。そして、その影響を受けているのは人間だけではない。

ミヤタ「KITAとしてはやっぱり浦安に生きてる人だけじゃなくて、自然や他の生き物にも目を向けるのはいいかもね」

北澤「海の魚たちも開発の影響を受けただろうし、魚の目線に立った時に汚染水が流れてきて一番しんどかったのは魚かもしれないしね」

ミヤタ「埋め立てられた海の底の気持ちを考えると複雑な気持ちになる。安らかに過ごしてた砂も土地を作るためにいろんなことが移動されたし、液状化も結局は人間が作った災害だし。言葉で繋がっていないチームだからこそできることがあると思っていて、みんなに伝わっても伝わらなくても良い。だけどKITAのプロジェクトをきっかけに、みんなが考えてくれたらすごくハッピーだよね」

言葉が通じないからこそ生まれるコミュニケーション

KITAが掲げる「わたしたち」には人間はもちろんのこと、動物や植物の生物から海や土などの無生物まで含まれている。そのすべてが影響しあって、世界は作られているからだ。つぎの6月下旬のミーティングでまず提示されたのは、ミヤタさんが描いた浦安の未来予想図だった。

外からインドネシアの突飛な概念がやってくることによって、浦安の元町、中町、新町の境界線は薄れて、浦安がひとつの街として立ち上がるかもしれない。日本とインドネシアの言語の境界線をも超えた新たなコミュニケーションを生み出すことによって、浦安の人たちがひとつになれるのではないか、という説明がされた。

▲浦安の未来予想図。動植物を含めて言語ではない新しいコミュニケーションが生まれている。

ミヤタ「アートも言語を超えたことをやろうとしてるんだけど、KITAのコミュニケーションでは潤くん(北澤)がいつも以上に言語化しなくちゃいけないし、概念の話をしてるときも結局具体的な言語に置き換えなくちゃいけない違和感をすごく抱えてたじゃない。インドネシアチームとのやり取りも、言葉よりも感覚で話そうとするとわかり合えるところがあって。言語化しちゃうと消えてしまうものもあるし、KITAとして言語化以外のコミュニケーションを探る実験ができたらおもしろそうだなと思う」

言語が異なるチームだからこそ身に染みている、言語に頼らないコミュニケーションの重要性。コミュニケーションの拠り所として大きな役割を担う言語をとっぱらうことで、まっさらな状態から新たなコミュニケーションを構築できる。

ミヤタ「絵に描いた木とか川とか植物とか、すべてに感情があるのかは分からないけど記憶はあって、いろんなことを抱えている。もちろん人間も、国籍関係なく通じるものがどこかあったりする。同じコミュニティで生きてた人に分かってもらえなかったことを、地球の果ての誰かが分かってくれるときが、普通にあったりするじゃない。そういうことが“わたしたち”の拡張を考えていくときにキーになってくるというか」

北澤「KITAの中でも言語が違ってて、僕は日本語とインドネシア語が喋れるから繋いでるけど、全員が言語を使わない状況になったときに対等になるじゃない。コミュニケーションツールをひとつ削ることによって一緒になるみたいな状況を、ワークショップに対しても、プロジェクトに対しても考えられればいいのかなと思った」

能作「言語じゃないコミュニケーションで思いつくのが音楽とかスポーツ。スナックでも誰かがカラオケを歌った時に、たぶん言葉が分からなくてもエモーションとお酒さえあればみんなが一体になって合いの手を入れられる。そういう場をワークショップで作れればいいかもしれない」

北澤「言語外のコミュニケーションを積み重ねていくと、新しいコミュニケーションが生まれるのかもしれない。新しい言語の辞書を作って、その言語で浦安の店を紹介するとか、街でアクションを起こすのも考えられるね」

真似からはじまる文化の創造

新しい言語は、国籍や属性関係なくみんなをフラットに繋いでくれる。共通の言語を持たない人へのアプローチから、新しい言語のあり方を紐解いていく。

津田「僕は普段、障がいを持った子どもたちの(美術)教室をやってるんだけど、未就学児だと誰も言葉を発せない場合もあるから、挨拶しても返事がない状態からスタートする。今日は何やろうかと、いろんな材料を見せながら、例えばビニール袋を膨らましてバンって割って反応があったら、そこからはじめたり。障がいのあるなしに関わらず、赤ちゃんとかペットもそうかもしれないけど、言葉以外のコミュニケーションの方が伝わるときがある」

能作「初源的なコミュニケーションって真似することでもあるよね。先住民族と会ったときに、よくわからない言語をおうむ返しすると仲良くなるシーンが映画であったり」

津田「音楽の成り立ちも音をひとつ鳴らして、次に隣の人が真似していくことで作られていったみたいで」

能作「知らない国の郷土料理をレシピだけ見て作るテレビ番組があるんだけど、言葉だけだと全然違う料理が出来上がる。逆に料理は言葉がなくても作る過程を見せれば作れるじゃない。言葉がわかんなくても真似するだけで楽しかったり。例えば新しい国の郷土料理や郷土音楽を作るとか」

ミヤタ「似たような感覚を共有できる要素は絶対欲しいよね。浦安のそれぞれの地域に特性はあるけど、浦安全体としてのアイデンティティはあまりなくて。浦安で収入や性格も全く違えば、好きなものも違うと思い込んでたような人たちがまず出会って、言語だけじゃないコミュニケーションをとる中で、何か共通点を見つけていく。そこから新しいコミュニケーションが生まれて、みんなで新しい浦安のアイデンティティを創造する入口に立つところが、ひとつの可能性としてある気がしていて。KITAとしては出てきた共通点を拾っていきながら『浦安って実はこういうことあるじゃん』って繋いでいくことになるのかな」

言語を介さずに成り立つコミュニケーションのイメージをたぐり寄せた先に、能作さんからひとつのキーワードが飛び出す。

能作「『あったかもしれない浦安』の郷土みたいなもの。伝えたいことはそうなのかも。郷土ってすごく土の話をしてて、文化は土に宿ってる感じがある。『あったかもしれない未来』の、架空の郷土料理や郷土民謡、風習をみんなで作ってみると、浦安の未来予想図になるのかな。あと、単純にKITAチームが仲良くなれそうなプログラムだといいかも」

異なる言語でやりとりしているKITAが仲良くなれるものであれば、それは言語を介さないコミュニケーションが生まれていること。同じ言語を持つ人とも、新たな形のコミュニケーションを築いてくれる。

ミヤタ「みんなで“わたしたち”のことを歌って盆踊りを踊るとか。みんなでイェーイって踊ったりできたら、世代関係なくただただいいよね」

北澤「どこまで普段自分たちが頼っているコミュニケーションではない方法でいくか。最終的に祭りみたいな形態で統合するのもいいかもね」

ミヤタ「今抱えてるコミュニケーションから解放されることに近いよね。真ん中に象徴的な何かがあれば、そこが祭りの場所になる」

北澤「祭りってコミュニティがないと存在しないから、あったかもしれないコミュニティとして表象された祭りになるね」

インドネシアのお祭りが浦安にやってくる!?

「祭り」というキーワードから連想されたのは、とあるインドネシアのお祭りだった。そこからプロジェクトの構想は加速していく。

北澤「インドネシアでは独立記念日にお祭りをやるんだけど、村の集落ごとのコミュニティで『ロンバ』っていう運動会みたいな競技が開催される。一番有名なのは長い竹の上に三輪車とか景品が置かれてて、登ってとる競技でめちゃくちゃ盛り上がる」

▲「panjat pinang」という競技。竹のてっぺんにくくり付けられた景品を登ってゲットする。この写真がでた瞬間に「これやりたい!」と、日本チームは大盛り上がり。
▲北澤が一番衝撃を受けたという競技が「lomba gigit koin」。チョコをコーティングしたスイカにお金を埋め、チョコを舐めながらコインをゲットする。「馬鹿らしくて最高!」と、一同絶賛。

津田「スポーツってルールさえ伝われば楽しめるし、敵対意識はあるけど平和だよね。いろんな国の人を混ぜながらチームを作るならスポーツはかなりいい。いろんな競技を考えて運動会をやるのはアリだね」

▲せんべい食い競走やムカデ競走など、日本の運動会でも見覚えのある競技がチラホラ。

ミヤタ「運動会の競技って万国共通だね」

インドネシアの競技のおもしろさに大興奮のKITAの興味を一際引いたのは、チームで協力して釘をビンに入れる競技だった。

▲大人数で協力しながら、お尻から伸びた釘をビンに入れる競技。参加者は釘を見れないため、周りの人が位置の指示をする。チームプレイが肝心。

ミヤタ「これさ、ワークショップのアイスブレイクでやったらめっちゃ良くない? 一瞬で“わたしたち”になれるよ」

北澤「”わたしたち”になるために“ない村”の祭りをひらくのはおもろいかもね。例えば元町の漁師さんなら大漁を祈る祭りをひらいていたかもしれないとか」

ここで「あったかもしれない浦安」に繋がっていく。北澤さんは「あったかもしれない」の意味をインドネシアチームに説明するのに苦労していた。すんなりと訳せない言葉を解体しながら具体的な例えを用いて伝える行為は、言葉をふんわり覆っている概念を削ぎ落とす反面、プロジェクトの解像度をグッと上げてくれる。

北澤「例えばもし元町が漁師町として続いていて新町ができたとすると、文化の衝突があったかもしれないし、例えばインドネシア人が海岸沿いから流入してきて混ざる未来もあったかもしれない。そんな『あったかもしれない浦安』のシチュエーションを表象するものとして、祭りの姿に起こしてみるってことかな」

能作「漁業がずっと続いてたっていうのが一番リアルかもしれない。そうすると元町とそれ以外の地域の関係はまた違っただろうね。市内テーマパークも反対運動があったのかもしれないなとか、何となく想像ができそう。田園風景とか、農村とか、漁村の風景の方が普通は残ってそうなんだけど、浦安にとってはそっちの方があったかもしれないフィクション。その祭りでは漁村や農村のコミュニティが団結するための歌があったり、郷土料理があったり」

北澤「さっきのロンバも村単位で開かれていてるんだけど、もしまだ浦安の中に村が続いてたらみたいな想定はおもしろいかもしれないね」

ミヤタ「祭りの競技だから国籍とか世代も関係なく、同じ土俵でアイディア出しできるのもいいな」

▲米袋を履いて競走する競技。浦安だったら「魚を入れる袋を使って、魚になりきって網から逃げる競技もありじゃない?」とムニフ。

能作「人間が共通して持ってる、穴に釘が入るとテンションがあがる感覚を共有できるような、ちょっと馬鹿馬鹿しいくらいの競技の方がいいよね」

言語を使わない「わたしたち」のコミュニケーションのあり方を探っていった先に、インドネシアの文化と合流してプロジェクトの構想が定まっていった。はたして浦安にどんな祭りが生まれるのか、はたまた全く違うアウトプットになるのか。言語や文化の境界をまたぎながら、KITAから浦安の街へと拡張されていく「わたしたち」の行く末はいかに。


ext = Lee.Senmi

edit = Tatsuhiko watanabe