
プロジェクト展振り返り
―プロジェクト展お疲れさまでした。私は展示をみれなかったのですが、公園での護岸の模型展示には、子供が集まっていたという噂をきいています。
横山 :そうですね。この公園の特性上、特に平日の夕方あたりは子供が多いみたいで。会期中は子供たちが護岸の周りを走り回って、面白い光景でした。子供たちを連れてきた親御さんも、護岸によりかかったりしていて、ちょっとしたコニケーションスペースじゃないですけど、そういう場所になっていて面白かったです。
佐藤:私は土日しかみれなかったんですけど、土日はお散歩とか、お出かけの前に公園に寄っているような親子づれが多い印象でした。子供が率先してこちらに来るから、大人もつられて「なになに?」みたいなかんじで集まっていましたね。
―みなさん展示物をみて、護岸だってすぐにわかるんですか?
横山:ぱっと見で「なんだこれは」みたいなものを作りたいなと思っていたんです。9日間しか会期がなかったので、突然公園の真ん中に謎の塊があるぞ、みたいな。ある種モノリス的な立ち位置になったらいいかなって思っていたんですよ。実際、なんだろうと思った人が近くに寄って来てくれて、話して行く中でこれは護岸アーカイブプロジェクトなんだねってことがわかるような構成になっていました。
ー護岸って聞くと、あーみたいな反応?
佐藤:いや、どちらかというとわからない人の方が多かったです。
―そんなものが浦安にあるんだー、みたいな感じですか?
佐藤:存在は知ってたけどそれを護岸って呼ばれることは知らないっていう感じ。
横山:そうそう、「あー、あれね!」みたいな感じで。
来てくれた方々に、最初は「護岸ってご存知ですか?」っていうお話しから入るんですけど、耳慣れない言葉なので、護岸ってなんだって感じになっちゃうんですよ。なので私達も探りながら、だんだんどう言えば伝わるのかわかってきて。慣れてからは「浦安の街の中にあるコンクリートのでっかいの」とか言いながら、そうすると「はいはい、あれね。近くにあるわよ」とか会話ができたりして。あれ実は護岸って言って、埋め立ての名残なんですっていう話につなげたりしていましたね。護岸っていう呼び方自体、行政的な呼び方なので、「昔の埋め立ての防波堤ってわかります?」とかって言うと結構認知されてるなっていう印象です。
―名付けって難しいですね。
佐藤:「ごがん」って言われても、多分漢字がぱっと出てこないんだと思います。
横山 :勝手に地元民を代表して喋りますけど、地元民としては名前もついてないけど、日常にものすごく馴染んであるあれって感覚です。でも、護岸みたいな存在が浦安以外の人の生活には無いんだなと思うと、なんか不思議だなと思います。

見えた課題
―名づけのほかに、ワークショップや展示を通して難しかったことはありますか?
佐藤:ワークショップってなると、親子ずれがやっぱ多いなっていうので、なんかそれは良かったことでもあるんですが、本当に届いてほしい人たちを集めるのは難しいし、課題だなと思いました。子供にいろんなことを経験させたいと思ってきてくれるのは大事なことなんですけど、扱ってるテーマは難しい。そのギャップというかね…。
横山 :もちろん護岸について知りたいと思って来る人たちもいたんですよ。地元で今護岸の進退をどうするか議論しているところだから、市がやっているワークショップにきましたって言ってくれたりして。それはすごく良かったなと思う反面、意図の伝え方はなかなか難しいですよね。
佐藤:ワークショップ自体はどれも、当日の流れは成功していたかなと思います。でも届けたいメッセージが、必ずしも毎回ダイレクトには届かなかったかなって感じがあったというか。そこが一番難しいところではあったかな。
でも展示を開けば、「これ俺がやったやつだよ」って奥さんに自慢してるおじいちゃんがいたり、その場で楽しんでくれてる親子連れがいたり、そういう光景がみれたことが私は良かったと思います。特に大人にとっては、普段わざわざしないような行動をするワークショップじゃないですか。その非日常をちゃんと楽しんでたようにみえたし、そういう意味では大人が振り回されて、めっちゃ汗かきながら作っていたのがすごいいいなと思いました。
横山:ワークショップとかプロジェクトに参加し慣れている人だったら、このワークショップに参加して、触ることの意味とかその先にある何かを自分で感じ取ろうとか考えようとすると思うんです。でもそういった経験をしたことがない人にいきなり触ってくださいって言ったとしても、意図を汲み取ってもらうのは難しい。私たちの側でもっと、意味を深掘りして発想してくための手助けしてあげられたんじゃないかなって反省していますね。
印象的だった出来事
―展示を通して印象的だったやり取りなどありますか?
横山 :展示をしてるときにいらっしゃった方で、1階目の埋め立てのときに作った防波堤の展示をしてるんですよみたいな会話をしていたら、昔住んでた家の近くにあったわよ~みたいなお話をしてくれて。よくよく聞いてみると、1回目の埋立のときに住んでらっしゃって、第2期の埋立が始まる前に住んでいた方だったんです。このあっちが海だった時に、この防波堤によく座ってたわよ。船とか見てたわ。とか話してくれて。えー!ちょっと今からインタビューしてもいいですかみたいな感じの方で。その方が思ったよりお年を召した方じゃなくて。そうか、浦安にはそういう第2期の埋立がはじまる前の記憶を持った人がまだいっぱいいるんだなと。よくよく考えればわかることなんだけど、このとき改めて地続きの歴史のことをやってるんだっていう実感がさらに湧きました。
―今回の展示は8月と11月に実施したワークショップで作成した護岸の型を、護岸の形に構成するものでしたね。
佐藤:護岸の表面の型をとるワークショップをしたけど、展示では型をとった紙は内側に展示して、外の外観としては何もないフラットな状態にしたんです。
横山: 護岸自体も、どちらが内か外かが絶妙じゃないですか。住宅街がある方が内なのか、道路がある方が内なのか。第1期埋め立て護岸は、さらに外にもう1回護岸に囲まれてるから、道路に面している側も内側なのかもしれないけど、でも近くに住んでる人は多分住宅街側が内側だって考えていると思うので。
ー改めてワークショップについてお伺いするんですが、体を全身使うじゃないですか、型取り方法を選んだのはなぜだったのでしょうか?

横山:結果論になっちゃうんですけど、市民の皆さんとアーカイブをするっていう行為自体をやっていくことにフォーカスが当たっているのかなと思っていて。なので全身を使って自分の体で型をとっているっていうこと自体が、今回のアーカイブプロジェクトの一番大きい根っこ担っていると思います。
―写真をとってくるなど、あまり体を動かさないアプローチもできますよね。
横山:そうですね。どっちかっていうと、アーカイブして保存されたものたちより、アーカイブをする経験と経験の上に基づいて残る手の感触だったり、こんなに大きいとか、そういう感覚を浦安市民の身体に残すっていう意味合いが大きかったと思います。
佐藤:こういうワークショップがないと、わざわざ護岸を触りに行かないだろうし。型をとるために紙を護岸に押し当てたり、手のひらでギュッと押すみたいなことは、そうそうしない経験だろうなって思いますね。
横山 :はじめはいろんな方法をいろいろ試したんです。 もちろん何かメディアを使って記録をする方法とかもあるのかなって話をしてたんですけど、触るっていう行為がものすごく自分の実感を持って記録することができるのかなと思って。これにしようかみたいな感じでした。

アーカイブするとは
―アーカイブプロジェクトと名乗っているけど、どのくらい先を見据えているというか、どのくらい先の人に届けたいと思っていますか?
横山:そうですね、どっちかっていうと先の人のことより、今ある浦安の中のなんか文脈を考えている感覚があります。このプロジェクトやリサーチをしていて、一番見えてくるのは、そこじゃないですか。なんていうのかな浦安の歴史を振り返るためにアーカイブっていう行為をしているというか。
私は元々、写真の記録性の曖昧さみたいなものをテーマにあつかってきたんです。なので、このプロジェクトでも記録性についての疑問みたいなのが、入れ込もうとしたわけじゃないけど、自分がずっと考えてることだから必然的に入れ込むような形になっていったのかなと。
―いま浦安に暮らす人が浦安の歴史を接続するために、アーカイブをするというか。
横山:どっちかっていうとそういう感覚なのかもしれない。なんか、護岸を全部アーカイブしていくような取り組みというよりは。
護岸アーカイブプロジェクトっていう名称にして、アーカイブしていくぞってなったとき、このコンクリートの塊の一体何をアーカイブするのか考えたんです。その結果、文脈とか、昔ここがどういう場所で、どんな風景が広がっていたのかとか、そっちをアーカイブしたいよねって思って。

―佐藤さんもこれまで記録やアーカイブについて考えていたことがありますか?
佐藤:私はむしろ、パフォーマンスの一時性というか、その場のライブみたいなのを大事にしてたので、これどうやって残すってまわりから言われる方が多かったですね。だから自分で三脚たててスマホで撮影するみたいな記録をしていたんですけど、ただやっぱりその場でライブでみてるときの良さは残せない。 それは動画にしても写真にしても別物になっちゃうなと思っていて。パフォーマンスを肉体保存することはできないから、今後も記録は課題になってくるなとは思っていました。記録って何よりも難しい。
―アーカイブプロジェクトでは、事前にリサーチも行っていましたよね。どんなリサーチをされていたんですか?
横山 :都市計画課さんからいろいろお話を事前に伺いました。護岸ができた経緯とか、図面とかも共有していただいたり。護岸には小さい頃からずっと通っていたんですけど、改めて何度も通ってみて、客観的にこの護岸というものがどういうものとして位置づけられているのか考えることができたと思います。
なかなか護岸の近所の方にお話を聞きに行くとかはできなかったんですけど、とはいえワークショップには近所に住んでいて、護岸について思うことがある方も来てくださったり、展示の際にも「私近くに住んでるのよ」みたいな話をされることもあって。ワークショップの回数を重ねていくにつれて、そういう個人的なエピソードはちょっとずつ集まってきたように思います。
今後について
―護岸アーカイブプロジェクトを経て、今後どんなことを考えているか教えてください。
横山:これをきっかけに護岸が、今の埋立護岸のままあったことを示すアーカイブの動きになればいいなと思います。展示中にいろんな人の護岸にまつわる思い出が引き出されたみたいに、昔はねこんなんでねみたいな、そういう話とかもアーカイブする動きがあったらいいなって思います。浦安のすごくいい歴史だと思うので。
―浦安はその世代に戻れるということが大きいですよね。
佐藤:そう。埋立や護岸がバックボーンやアイデンティティでもあるから、私はとにかく浦安市がそのことを忘れないで欲しいっていう思いがありますね。
横山:郷土博物館とか見てても、埋め立てするまでの歴史はものすごく事細かに、こういう道具を使って漁をしてましたとか展示されているんですけど、埋め立て後、漁業権を放棄した以降の歴史は、何かディズニーランドの歴史に続く…みたいな構成になるんです。
それが私的にはすごくもったいないなと思っていて。今回のプロジェクトが、漁業権放棄埋め立て開始時から現在までの歴史を深掘りしてアーカイブをしていくような動きの一因になると良いなと思います。を深掘りしてアーカイブをしていくような動きの一因になると良いなと思います。

護岸と居場所
ーすこし話がそれますが、浦安は海が近くにあるので、子どものころから海で遊んだりするんですか?
横山:湘南とかに比べると、あんまり海で遊ぶ感じはないんですけど。どっちかっていうと海を海として捉えてるんじゃなくて、居場所として捉えてるみたいな感覚に近いのかもしれない。
佐藤 :たしかに。思春期とかに防波堤が身近にあったら私1人でも行ってチルしてたかもしんない。ああいうのが身近にあるのは。羨ましい。
横山 :本当にそうで。浦安ってあんまりそういう、チルできる場所がすごく少ないんですね。 こういう遊び方をしてね、こういう楽しみ方をして、こういうところに行ってねみたいな、目的がはっきりした場所作りがきちんとされてる町なので、何でもない場所を探すのがすごく難しいなって個人的に感じていて。そういう場所はどこだろうっておもうと、やっぱり海辺に集まってたな、みたいな。
佐藤:小学生とかがちょっと遊びに行くみたいな場所になるのがやっぱり護岸だとか、海辺だとか、公民館とか、公園になるのかなって思うんだけど、どれが一番リアルに渚さんは感じてた?
横山 :小学生の本当にちっちゃいときは、公民館とか学校とか、家の近くが行動範囲だった。でも中学高校になって、そういうところには行きたくなくて、気の合う仲間もしくは1人でチルしたいって感じになったときは、海とかなのかなと思います。
―いいですね、海にいくと1人でチルしてる人がいる感じ。
横山 :いるし、同じようなグループもいっぱいいるし、あっち花火始めたんだけどやばくないみたいな(笑)。怒られないのかなみたいな(笑)。そうやって集まってきてる人はいっぱいいましたね。
ーーー
アーカイブと聞くと、保存管理し、未来の人に過去の歴史を受け渡していくイメージがあります。しかし、今回の「護岸アーカイブプロジェクト」では、いま浦安で暮らす人が、浦安の歴史を地続きの生活を感じるためにアーカイブという手法をとられたのが印象的でした。
今も昔も、誰かの生活の隣にあり、居場所になっていたかもしれない護岸。そんな護岸の今までとこれからに思いを馳せる時間になりました。
インタビュー: やぎ はつね