もともと漁師町だった浦安市。埋め立て前からある元町地域は海抜1mの土地のため、水害と戦ってきた歴史を持つ。土地を拡大してからも人々は川と海のそばで生活しており、水害の危険と隣り合わせだ。樫村研究室は浦安市の課題である「水害と防災」というテーマにどう向き合っていくのか。“その土地にいる人たち、その土地の環境と同じ目線に立って、その土地にある物事をみていくこと”を建築の設計において一番重要視していると言う樫村さん。まずは地図という縮尺の情報を持たずに、浦安市がどんな土地なのかを、自分たちの体で歩きながら掬いとることからリサーチをはじめていた。

樫村「私も研究室の学生も、浦安市とはテーマパークに行ったことがあるだけの関わりだったので、浦安駅から海の方まで歩いてみたり、おさんぽバスに乗ってみたり、個々に体験を積み重ねながらアプローチを考えていきました」

自分の身体で土地に触れることを大切にする一方で“実物を作りあげること”も樫村研究室の特徴だと、アシスタントの蓮渓さんは言う。小規模の住宅から大規模建築に至るまで、完成に何年もかかる建築の世界で、学生が実物を作れる機会は少ない。樫村研究室では小さい規模でも人が活用できる1/1スケールの建築物を実際に作ることが、他の研究室よりも際立って重要視されている。ウガンダの学生との共同ワークショップとして制作された 《Mobile Money Kiosk》もそのひとつだ。

樫村さん。研究室では普段から教員としてリードするというよりも、学生と一緒に手探りでプロジェクトを進めている。

蓮渓さん。樫村研究室の第1期生で、これまでのすべてのプロジェクトに参加している、いわば樫村研究室のプロフェショナル。

《Mobile Money Kiosk》。ウガンダの小さな公共施設になっているキオスクをリデザインし、ウガンダと日本それぞれの風土にあった設計へと発展させていったプロジェクト。電話ボックスくらいの大きさなので、現地の学生や職人とコミュニケーションをとりながら協働で制作する。撮影:Timothy Latim
走るリサーチの記録動画。タイトルは「7430m 浦安の背骨を身体でスキャンする」。背骨とは元町、中町、新町を貫く約4.8kmの境川のこと。同じく研究室に所属する大学院生の山田さん、長谷さんもレンタサイクルで追いかけて撮影。

樫村「テクノロジーがどんどん発達していくと、体験したことがなくてもしたかのように思えたり、自分が直接手を下さなくても物事が広範囲に広がったり、自分が身の丈以上に大きくなっていると錯覚してしまう怖さがあります。小さくても1/1のスケールで実物を作ることで、それが周りに及ぼす影響を観察できるし、その先に建築や街があるということを体感できると考えています」

身体感覚に重きをおく樫村研究室。所属する学生たちが次なるリサーチとして取り組んだのは「浦安市を身体でスキャンする」ことだった。平坦な土地が続くように見えて、境(さかい)川をまたぐ橋によって道路にも起伏が生まれていること、元町の川は蛇行しているけれど、埋立地域から海まではまっすぐのびていること、元町と中町の繋ぎ目に埋立前の堤防が残っていて、元町の方が土地が低くなっていること。地図という平面だけでは伝わらない土地の感触を記録するために、江戸川の堤防を起点に分流である境川沿いを海に向かって走った。走者は陸上部出身の阿部さん。彼は元町、中町、新町といった町ごとの違いを、その足の裏で感じ取っていた。

阿部「走ってみると町の違いが如実にわかってきて。漁師町だった元町は境川沿いに栄えていた痕跡のようなものがあって、割と道がくねくねしていたりアップダウンがありました。逆に中町と新町は整備されているので、道もまっすぐのびていて。遠くまで先が見えてしまうので走る身からすると、(単調で)つらかったです(笑)」

阿部さん。陸上部出身といっても短距離選手だったので、7kmの長距離を走るのはさすがにバテた。

観測によって身体感覚を取り戻す

身体を使ったスキャンによって、浦安市の土地の性質を体感した学生たちは、それぞれの興味を掘り下げて構想を練っていた。その過程で掘り起こされたキーワードが「観測」だ。

樫村「海抜がとても低い元町エリアは、雨が降っても街中にあるポンプ場で水を汲み上げて水害を回避しているから、自分達が何もしなければ簡単に水没してしまう土地に住んでいるという危機感が薄くなってしまいがちです。例えば、雨が降った時に排水溝に落ち葉が溜まっていると、それはとても大変なことが起きる予兆なのに誰も気づかず、市役所の方が掃いて雨が流れるようにしていて。市民の災害への意識が遠くなってしまっている問題点があるみたいです」

災害には予兆がある。わたしたちは普段、どのようにしてその予兆を「観測」しているのだろう。現代では雲の流れや風向きを読むまでもなく、スマホのアプリを開けばすぐに少し先の未来の天気を知ることができてしまう。その利便性の代わりに人が失ったものについて、樫村研のみなさんは考え始めていた。

浦安市の地図に、地下水路のネットワーク、防災拠点の分布、道路図、高低差のレイヤーに分けて重ねたもの。

樫村「昔の浦安の漁師さんたちは、天候によって釣果が変わったり、波の高さが貝や海苔の養殖に影響したりと、天候の変化にセンシティブになっていたはずなんです。だけど漁業権を放棄して以降、そういう感覚が薄れてしまったのかもしれない。なので天候を“観測”することをもう一度考え直すことが、もしかしたら災害へ意識を向けることに繋がるのかもしれません」

浦安の背骨を走った阿部さんは、今度は浦安のヘリである海に興味を向け、かつての漁師や釣りの道具をリサーチしていた。

阿部「例えば、漁師さんが船の上でどういった動きをしていたのか、浦安が漁師町として栄えていた頃に使っていた道具の仕組みであったり、人との関係について調べています。彼らにとって船は天候やいろんな状況を観測するのにすごく重要という認識はあったんですが、浦安市郷土博物館で船の実物を見て、これで海に出ていたんだという実感が伴いました」

阿部さんがリサーチしている、貝や海苔を採るための船のスケッチ。「ベカ船」と呼ばれている。

観測を支える部分が、人と天候をつなぐ装置に

同じく「観測」をモチーフにしている長谷さんは、浦安市を水害から守るポンプ場が四角い建物で覆われて隠れた存在になっていることに目をつけ、そこから天候を観測する機器の形状へと興味を広げていた。

長谷さん。スケッチを前に丁寧に説明してくれた。リサーチが始まってわずか数ヶ月だが、樫村研のメンバーが既に動かしている手数の多さに驚かされる。(取材陣痛恨のミスにより、長谷さんのお顔をしっかり撮れず…。こちらでぜひご確認ください!)

長谷「境川沿いにはポンプ場が点在していて、ひとつひとつ住宅街に馴染むスケール感の建物のなかに機械が隠されています。システムで動いている核の部分と、それを守るための機能ではない部分の関係がおもしろいなと思いました」

例えば百葉箱は温度計を白い箱で覆うことによって機能を安定させ、風向風速計は垂直の棒で支えることによって正確な数値を測ることができる。観測の核となるシステムと、観測条件を整えるためにそれらを守ったり支えたりするものの両方で観測機器は成り立っている。

あらゆる観測機器のスケッチ。黄色が観測の核となる部分。風向風速計には人が登るためのはしごがあったりと、白の面積が大きいものほどおもしろいと感じるように。
試作している新たな観測機器の模型たち。

長谷「風光風速計のはしごがある棒など、人が関わることも含めてできた部分に着目しました。測るための機器からもう少し意味を広げて、人と関わりを持つ観測のためのオブジェクトを考えています。垂直に伸びた棒が日時計になるから(地面に)メモリを新しく増やしたら発展していくんじゃないかとか。金属の屋根があったら雨粒が当たる音が聞こえるだろうとか。はしごに登って雲を見晴らしてみたらどうだろうなとか。目で見たり、中に入ったり、動かしてみたりと、いろんな関わり方をこれから検討していきます」

雲の変化に気づいたり、匂いで雨を予想したり、風の音を聞いたり。デジタルに頼らずとも人間は本来、五感で天候を感じ取れるはずだ。雨や風を避けるためだけのネガティブな観測ではなく、天候を身体で感じる力を取り戻すための、ポジティブな観測になる予感がする。

樫村「陸上競技では大きいフィールドの中に吹き流しがいくつもあるらしいんですね。風速20mを超えると公式記録にならないので、風を観測する機器がいくつかあって。正確な数値を出すデジタル計ももちろんあるんですけど、見たら風の勢いがすぐわかるのが吹き流しなんです。これくらいだったら走ろうと直感でわかるのがおもしろくて」

蓮渓「観測機器が身近にあることで、環境や天候と生活を結びつけて考えられるような暮らしがみえてくる。イベントとしてではなく日常的に風向きや雨の量を体感することができれば、災害が起きてからではなく普段から防災について考えられるかもしれないですね」

日常風景に埋め込まれた、非常時への備え

天候を自らのセンサーで感じ取ることが災害への想像に繋がり、ひいては防災に意識を向けることにつながる。「防災」の観点から構想している山田さんは、一時的な避難先にもなる公園のリサーチに取り組んでいた。

山田「公園は日常はもちろんのこと、災害という非常時にも人が集まる場所です。浦安市内の公園を観察してみると、災害時に使えるトイレやかまどになるベンチがあったり、パーゴラ(格子状の屋根がある公園の休憩スペース)もテントを張ることで屋内スペースを作れたりと、災害に備えた仕掛けがありました」

山田さん。写真を片手に、地図では抜け落ちる細かな情報を描き込んでいるところ。

中町と新町は埋め立て時に指定緊急避難場所として大きな公園が計画的に作られたが、元町は大きな公園がないため、指定避難所に行く前の一時的に集まる場所として小さな公園が活用されることもありそうだ。

山田「住民の方たちも普段利用している公園に、どんな災害に役立つものがあるかを知ることで、防災に対しての意識が変わってくるのかなと思っていて。日常でも使えて非常時にも転用できるものとして、どういうものが浦安市の公園に散らばっているのかを調べている段階です」

学生たちはそれぞれの観点からアプローチを進めていた。三者三様の構想はときに合流しながら、展示に向けて形作られていく。今後はどう展開されていくのか、樫村さんに伺った。

樫村「今年も夏にみんなでウガンダに行くので、日本とは全く違う気候を感じたあとに、浦安藝大のプロジェクトを詰めていく予定です。浦安での展示期間の観察も大切だと思うので、体感してくれた人たちにフィードバックをもらいながら一緒に記録をとって、最終的にはもう一度アウトプットができるといいかなと思っています」

学生が主体となり一緒に手探りで制作を進めていく樫村研究室。ウガンダの土地と気候を体感したあと、学生たちが浦安市にどんな「実物」を作り上げるのか楽しみだ。


text:Lee Senmi

edit:tatsuhiko watanabe