護岸アーカイブプロジェクトとは、浦安藝大の今年立ち上がったプロジェクトのひとつです。浦安市の将来に向けて護岸の記憶をのこしていくために、その歴史、かたち、感触、また護岸について考えたことを集め、誰でもアクセスできる記録に整えていくことを目指します。

初回の8月18日(日)は入船中学校にて開催されました。
今回のワークショップでは、そもそも護岸の歴史とは?大きさは?触り心地は?など、護岸と向き合ってみることからはじめます。

10:00 ワークショップ開始!

入船中学校体育館に参加者15名ほどが集まりました。7歳~72歳までと、幅広い年代の方々が参加していました。

「護岸は散歩道」という方から、「段差道路があるな、くらいしか知らない」「今日初めて見ます」という方まで、護岸に関する知識/関心もバラバラ。参加した近隣住民の方々は、比較的護岸に親近感を持っている、誇りに思っているという方が多かった印象です。

10:15 レクチャー

浦安市役所都市計画課より、護岸の概要についてレクチャーをしていただきました。
以下は内容を簡単にまとめたものです。

入船地区、今川地区にある旧埋立護岸は、昭和47年に実施された第1期埋立に伴って建設されたものです。海岸線を守るために建設され、地区によって護岸の模様が異なるのが特徴です。その後第2期埋立によって海岸線は遠のきます。陸地に取り残された護岸は、本来の機能を失いましたが、解体されることはなく地域にのこりました。

そこからしばらく時が経って、2011年。東日本大震災が発生。浦安市でも多くの被害が出ました。入船地区今川地区では液状化が発生したほか、護岸も液状化の影響でガタガタになり、一部が破損してしまったそうです。そこから護岸の利活用について議論が活発化し、現在に至ります。

10:30 いざ護岸へ!

レクチャーのあとは、いざ護岸へ。

Aグループ、Bグループの二手に分かれます。私が同行したAグループは、入船中から10分ほど歩き、入船地区にある護岸に向かいました。

道中、近隣に住む参加者の方々が、2011年の震災時の様子や子供の遊び場になっていることを話してくれました。震災時は付近の地区一帯が液状化で大変だったこと、学校の校庭も沼のようになっていたこと、護岸に登るのはよくないとわかっていながらも子供たちは遊び場に使っていること、花火の日は護岸に登ると花火がよく見えること。護岸にまつわる小話が尽きません。ワイワイおしゃべりをしていると、護岸に寝転がり日焼けをしている若者を発見。近隣の人々は各々に護岸を活用していることが見て取れます。

護岸に到着し木陰で一休みしていると、一人一枚、約30×30の白紙を手渡されました。アーティストの佐藤さんから、「これで護岸の原寸大の型をとります」との説明。護岸の型?紙で?とみんなの頭に?が浮かんでいると、佐藤さんがデモンストレーションを見せてくれました。

まず型を取りたい部分をみつけ、上に紙を置きます。霧吹きで水をかけ、湿った紙を手で護岸に押し付けます。乾いたら護岸から紙をはがすと…紙が護岸の形をキープしていました!

佐藤さんに続き、私たち参加者もやってみることに。型を取りたい部分を探します。木の根がめり込んでいる部分を選ぶ人、模様の一部を選ぶ人、あえて平らな面を選ぶ人。各々、気に入った場所に紙を置き、霧吹きで湿らせます。こぶしでトントン叩いたり、指でこすったり。木陰になっている部分でも、護岸はじんわり暖かく、ざらざらした手触りです。強くこすりすぎると紙が破けてしまうし、力が弱いと型が紙に残らないし、力加減がなかなか難しい。5分ほど丁寧に作業を続けると、コンクリートのざらざらした肌理や護岸の模様の凹凸が見えてきました。乾いてきたら、護岸から紙をはがします。紙にはうっすら、護岸の形が浮かび上がりました。とはいえ、護岸の模様はそれぞれ1mほどの大きさなので、30センチ角の紙に刻むことができるのは、本当に一部分のみ。そのため出来上がった紙は護岸の型というより、不思議なシワがついた紙という感じでした。

もう少し強い力をかければよかった…と反省していると、次は110cm×78cmくらいの紙が1人一枚渡されました。今までのは試作、ここからが本番です。大きな紙を佐藤さんが指示した場所に、横並びで配置します。紙に沿って参加者も横一列に。端から順番に霧吹きで湿らせ、手で押したり、トントンしたり。10人くらいの人間が一列に並び護岸の傾斜に寄り掛かり、生身で護岸と戦っているような、なかなかシュールな光景です。

型を取っていると、紙の隙間からアリ、ダンゴムシが出てきたり、草むらからバッタが飛んできたり、護岸は虫たちの棲家になっていることがわかりました。また小さい紙で型を取ったときには気が付かなかった、模様ごとの溝の深さの違いに驚いたり、触れてみると感じ取るディテールの幅が広がります。

最後は木製スプーンで表面をこすり、テクスチャを拾います。出来上がった型は護岸のほんの一部ですが、なかなかの壮観です。乾いた紙の型をもち、入船中学校に戻ります。

帰り道はワークショップの疲れのせいか、口数が減り行き道より静かな雰囲気。道すがら護岸を触ったり、少し登ってみる人もちらほら。その姿は護岸を単なる記憶ではなく、手で触れた、歩いたという体験として捉えようとしているように見えました。

11:30 出来た型を見比べる/護岸の今後

入船中体育館に戻り、一休み。AとB、それぞれのグループがとった護岸の型を並べて見比べます。入船地区で型をとったAの護岸は丸い模様、今川地区で型をとったBは四角い凹凸の模様がくっきり出ています。

事前レクチャーで模様が違うことは聞いていましたが、本当に全然違う!と新鮮な驚きがありました。参加者はAとBの型を見比べたり、「私がつくったのこれだ!」と写真をとったり、型のまわりでうろうろ。

最後に、もう一度都市計画課より護岸の今後についてお話がありました。護岸の利活用についてはまだまだ議論の途中で、様々な意見を聞き入れながら進めていく予定だそうです。


アーカイブがのこすもの

護岸のアーカイブとは、一体何を記録し、未来へのこすことなのでしょうか。歴史、知識、構造、設計図など、客観的な事実だけとは限りません。実際に手で触れ、暖かさを感じ、その周りの景色を眺めながら歩くこと、そのなかで個々人が考えたことも含まれてもよいのではないでしょうか。

アーカイブという耳慣れない言葉に、どのくらいの参加者がコミットできたのかはわかりません。しかし、今回のワークショップを通して普段とは違う方法で護岸に向き合い、言葉とは別の回路を通じて記憶に刻む経験により、護岸の捉え方がすこし変化したのなら、それはきっと護岸のアーカイブを考える第一歩を踏み出したと言えるでしょう。

今回のワークショップにあたり、アーティストの横山さん、佐藤さんが執筆したコンセプトを掲載します。

最後に、印象的だった会話でレポートを締めくくります。

護岸から帰る道すがら、「うちの子に護岸って言ったら、それ何?って伝わらなかったの。普段は堤防って呼んでるからね」と笑いながら話してくれた方がいました。確かに、護岸って普段使わない言葉です。地域に根差したアーカイブを構築していくには、地域の人に伝わる言葉遣いが大切です。これを機に呼称を再検討しても良いかもしれません。


text: Hatsune Yagi